備忘録

インターネット老人会のよしなしごとを…

あの有名な板からの北方民族ネタ拾い物コピペだとか。書いた人は東洋史(北アジア史)ヲタクだと推測。

鬼女版と801版は無敵だと思うですw


樺太(サハリン)に住んでいたツングースウィルタ(オロッコ)族で、
「北川源太郎」という日本名を持っていた、故「ダーヒンニェニ・ゲンダーヌ」氏に関する本です。
母校の図書室にありますた。
ダーヒンニェニ・ゲンダーヌさんは、かつて網走にあった北方民族に関する資料館、
「ジャッカ・ドフニ」の館長をされていました。ちなみにうちの伯母と同じ昭和元年生まれとは。
網走(ア・パッシリ)って番外地だけじゃないんだなぁ、健さん

ゲンダーヌ―ある北方少数民族のドラマ

ゲンダーヌ―ある北方少数民族のドラマ

サハリン北緯50度線―続・ゲンダーヌ

サハリン北緯50度線―続・ゲンダーヌ


コピペの文中で問題のありそうな箇所は、こちらの判断で一部伏せ字に変更しています。

71 :可愛い奥様:2011/08/25(木) 17:08:11.67 id:uuJJOMz80
こんにちわ。エヴェンキ族です。
自分、シベリアの隅でひっそり暮らしていますが、北海道にも少数ですが暮らしていたりします。

で、大分前からインターネットとか言うところで
「朝○人はエヴェンキ族」とか言われてるらしいんですよ。
・・・別に自慢じゃないんですが、自分、清帝国じゃあ布特哈八旗の一翼を担ったんですよ?
乾隆帝の十全武功で目覚ましい活躍を遂げたんですよ?
清の大軍が敵のゲリラ戦術に苦戦するさなか、エヴェンキ族で構成された部隊を率いて
幾度も戦果をあげ、最終的には将軍になった「海蘭察」を輩出してるんですよ?
三跪九叩頭が日常だった朝○人とは違うんですよ?

それなのに朝○人と同列扱い・・・・・・なんですか?なんなんですか?!
自分、何か悪いことでもしましたか?朝○人呼ばわりされるような悪いことしましたか?

あなた、朝○人呼ばわりされた民族の気持ちが分かるんですか!?
他人から「お前朝○人みたいだな」とか言われたらどんな気分になりますか!?
日本人は他人のことを思いやることができる民族じゃなかったんですか?
いつからこうなっちゃったんですか!?

・・・すみません。熱くなって言葉が過ぎました。
でも、朝○人呼ばわりはどうしても許せなかったんです。ホント、すみませんでした。

×こんにちわ
○こんにちは、ということで、恐らくエヴェンキの方なので日本語を間違えたのでしょうw


ここらで少し解説をば。「北海道にも少数ですが暮らしていたりします。」の話ですが、
樺太から引き揚げてきた少数民族の人たちが若干名ですが、札幌や網走の公団住宅などにお住まいです。
難読な箇所は、布特哈(プトハ)と海蘭察(ハイランチャ)、でしょうか。
ハイランチャさんは、以前ネタにしたのでこちらをドゾ。
モンゴル語の「ソロンゴス(朝鮮)」とソロン(エヴェンキ)とは関係があるのか無いのか気になるこの頃です。


布特哈(プトハ)八旗の方は、かの満州国関連でも名前が出てきますね。
帝政ロシアの脅威が迫る中、清は、布特哈(今の黒竜江省チチハル市近郊)に住んでいた、
エヴェンキ族とオロチョン族(ツングース系)、バルガ・モンゴル族、ダフール族(モンゴル系)などを、
「布特哈八旗」として、辺境防備のための軍事組織に組み入れました。
布特哈八旗は、いわゆる「駐防八旗」のうちの黒龍江駐防に属していて、
黒竜江駐防将軍に統括されていました。
今の「ちうごく東北部」はツングース族である清朝の故地で、元々漢民族の土地ではなかった場所です。
なので、行政も軍事も漢民族の土地とは違うシステムで統治していたのです。
ちなみに布特哈八旗に属していた人たちですが、
後に今の内モンゴル自治区呼倫貝爾(ホロンバイル)市に移住させられています。
ホロンバイルが無住地帯になったからだったそうで。
空き地にしておくと何かとヤバいのはいずこも変わりませんね。被災地のぁゃιぃ話とか・・・
で、奉天省(後の遼寧省)・吉林省黒竜江省漢民族式に省制となったのは、
辛亥革命の少し前、1907年のことでした。


ところで「 鋼の錬金術師」で、主人公のエドワード・エルリックと弟のアルフォンス・エルリックの母さん、
名前が「トリシャ」ですが、「トリシャ」とは、あのウィルタ族にあった姓のうちの1つなのです。
作者の荒川弘氏が北海道出身であることを考えると、
ひょっとすると、ウィルタ族の知人がいたのでは?と気になっているのです。