備忘録

インターネット老人会のよしなしごとを…

北海道以外では大規模農家はアカンやろという根拠だとか。

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インドの農業も大変らしい・・・
またモ○サントか!カーギル社の名前も出てまいります。
で、ちょいと引用が長くなりますが必見。
貧困とグローバル化 ヴァンダナ・シヴァ 訳:志満 直実

グローバル化の名のもとに私たちが貧困層に行っていることは、残忍で許されません。次々と明らかになるグローバル化の惨事を目撃している今、
これは特にインドで、とりわけ食物と農業で明らかです。 

誰が世界を養うか?私の答えは、多くの人の答えとは非常に異なっています。 

それは女性と小規模農家です。彼らは第三世界における主要な食料供給者であり、生物多様性と取り組んでいます。
支配的な前提に反して、それらの生物多様性に基づいた小規模農家は、産業的単一栽培より生産的です。 

食料生産の豊富な多様性や持続可能なシステムは、食料生産の増加という名のもとに破壊されています。
しかし、多様性の破壊で、豊富な栄養源が消えてしまいます。1エーカー当たりの栄養量を計った場合、生物多様性の観点から見た場合には、
産業農業や産業漁業のいわゆる「高収穫高」は、食物や栄養をより多く生産していることを意味しません。

収穫高(Yield)は通常、単一の作物の単位面積あたりの生産を意味します。生産高(Output)は、種々の作物や生産物の生産の合計を意味します。
単一栽培として全体に単に1つの作物を植えれば、もちろんその個々の収穫高は増加するでしょう。
様々な作物を混ぜて植えればそれぞれの収穫高は減りますが、合計の生産高はとても高くなります。
収穫高は、小規模農場での小規模農家の食物生産を消滅させるように定義されています。
これは、自分の段々畑で今日もbarnyard millet(イヌビエ)、Amaranth(アマランサス)、
Pigeon Pea(キマメ)、Black gram(ヒヨコマメ)、horse gram, Glycine Max(大豆)、Glycine Soya、
−畑の無限な多様性−を栽培し、チプコ運動への加担に反対して戦った私の故郷のヒマラヤの農家のような、第三世界での多くの女性による栽培を隠滅させるものです。生物多様性の観点からは、生物多様性に基づいた生産力は、単一栽培の生産力より高くなります。
私はこれを、多様性の高生産に対する無分別、私たちの畑や世界に単一栽培をもたらす「心の単一栽培(単一文化)」と呼んでいます。

メキシコのチアパスのマヤの農夫たちは、1エーカー当たりトウモロコシをたった2トンしか生産しないので、非生産的として特徴づけられています。
しかし、マメやカボチャ類、野菜や果樹などの多様性を計算に入れると、総生産高は1エーカーあたり20トンになります。 

ジャワでは、小規模農家は家庭菜園で607種を栽培しています。サハラ以南のアフリカでは、女性が120種類の異なった植物を栽培しています。
タイのある家庭菜園には230種、アフリカの家庭菜園には60種以上の木があります。

コンゴの田舎の家族は、農場の50種を超える木から、葉を食べます。 

東ナイジェリアの研究で、1世帯の農地のたった2パーセントしか占めない家庭菜園が、その農場の総生産の半分になることが分かりました。
インドネシアでは、家計収入の20パーセント、国内の食物供給の40パーセントが、女性が管理する家庭菜園からです。 

FAO(国連食糧農業機関)によって行われた研究でも、小規模の生物多様性のある農家の方が、
大規模で産業的な単一栽培よりも何千倍も多くの食物を生産できることが明らかになりました。
また、より多くの食物を供給することに加えて、多様性は干ばつと砂漠化を防ぐための最良の戦略です。

日本の農家で生物多様性といえば、鹿児島の春さんちの「椿屋敷農園」が思い出されます。
期せずして色々な作物が勝手に芽吹いて生えてきては実りをもたらしてくれるというエントリが多いのも頷けます。
最近、食料の自給率を上げるためには大規模農家を増やせという論調がありますが、
生物多様性が失われて失敗すると自分は思いますが如何。