備忘録

インターネット老人会のよしなしごとを…

大元帝国の滅亡は法則発動か?元朝最後の皇帝、トゴン・テムルの夫人の話だとか。

芸能界で、あの高○家次男さんが絶賛離婚調停中、ということで思い出した話でございます。
タカラジェンヌの母S・Hさんは「あの嫁が産んだ孫ならいらない」とまで言ったとかで。


さて、核のゴミが捨てられそうな危機にあるモンゴル国の話を久々に。かつては「大元帝国」でしたね。
フビライ・ハーンが日本を2度攻めて失敗したのが元寇
陳朝大越国時代のベトナムは3度攻めて、いずれも王族で総司令官の陳興道チャン・フン・ダオ)に撃退されています。
つーか、ベトナムって前漢武帝とガチで戦ったチュン姉妹の時代から、小国なのに結構無双だったりしますw
なので、日本は越南とは仲良くしていた方がいいと思われ。


中世モンゴルの話に戻ります。
元朝最後のハーンだった順帝トゴン・テムルの皇后は、高麗人の奇子敖の娘で、高麗貢女出身の「奇順女」でした。
当時、元の属国だった高麗からは、多くの少女が「貢女」として送られたのですが、
奇順女、後にモンゴル名で「ワンゼクトゥ」と呼ばれた彼女もそういった少女の1人だったのです。
(で、モンゴルが「貢女」やってたからイルボンもやったってことになってないか、あの話)
憎悪と恨を超えて 高麗出身の皇后

奇皇后は聡明で美しく、積極的で野心家、洞察力に優れ、
どんな困難の前でもあきらめない強い意志を持った自立した女性であったらしい。
彼女は高麗出身の宦官たちの協力のもと、「高麗様」「高麗風」と呼ばれた生活様式や風俗を元に広め、
皇后になるや「政治資金」を調達することに乗り出す。
皇后の資金調達機関を改変し「資政院」を設置、高麗出身の宦官・高龍普を資政院使に任命、
資政院は奇皇后を軸に高麗出身の宦官たちや官吏たちをも取り込み、
「資政院党」と呼ばれる一大政治勢力を形成するに至る。
政敵の甥を流刑から解き、高位の官職を与えるなどバランス感覚にも優れていた。
同郷である宦官・朴不花を軍の最高位同知樞密院事に任命、事実上の軍事統率権をも掌握した。
また息子アユシリダラを皇太子にすることに成功、安定的な権力基盤を築いていった。

  • 高麗出身の宦官たちの協力
  • 「高麗様」「高麗風」と呼ばれた生活様式や風俗
  • 「資政院」を設置
  • 同郷である宦官・朴不花を軍の最高位同知樞密院事に任命
  • 息子アユシリダラを皇太子に

どこかの国で、現在進行形で似たようなことが進められているようなデジャヴは気のせい、気のせいw
で、皇太子のアユルシリダラ(後の北元の昭宗)はモンゴルとコリアのハーフということになりますね。
モンゴルのエージ(母)は高麗のオモニ(母)ということで。
かくして国母は、大元帝国を高麗色に染め上げてhrhrしたのでありました。
ただそれは、国が滅ぶまでのほんの短い間のことでしたが。


間もなく、大元帝国は明を建国した朱元璋の北伐軍に追われ、漢民族の土地から退去、
モンゴルに引っ込んでしまうことになります。これ以降の元は「北元」と呼ばれます。
トゴン・テムルは現在の内モンゴル崩御アユルシリダラが北元第2代皇帝に即位します。
結局ジリ貧になった北元は3代でフビライ・ハーンの直系が断絶、
後身の「韃靼(タタール)」にダヤン(大元)・ハーンとなるバト・モンケが現れるまで、
モンゴル民族は長い不遇な時代が続くことになったのであります。はぁ〜
そこらへんの話は、このモンゴル時代劇映画に詳しいです。
[rakuten:r-mediashop:10008730:detail]


今の万里の長城は明代に大改修をされたものですが、
それは漢民族が「モンゴル人はもう来んな」ということでやったと(´д`)
蒙古ないよ−、と言ったかどうかは知らんけど。
あ、蒙古という当て字は「アホでダサい」という意味になるから使用禁止ね。ドルジに怒られる。


何だかんだで、1人のお后の「恨」のために大元帝国がぶっ飛んだとするなら、
こんな凄い法則ってないんぢゃまいかと思われ。
まさか「貢女」ならぬポップスを歌う少女たちの中に、未来のワンゼクトゥがいるなんてことは?
あ、誰か来たようだ・・・


ついでながら、北元の末裔と沖縄との関わりについての話はそのうちに。
モンゴルも沖縄もお酒好きだし、てーげーな所は似ているかもです。


追記・宮崎あおい夫のTwitter騒動で法則回避なるか?


追記の追記・宮崎あおい夫、解雇ktkr。逆法則が発動したらそれもまた凄いかも知れない。 2011/07/28